全方位に喧嘩腰

無駄な有識者が各業界の裏側から流行のトピックス・ニュース・作品・表現について語るブログ

グリッドマンのヒロイン抱き枕は結局、アニメや女性をナメているのかを業界人が答えてみた。


家の前の公園にホームレスが住み着いているんですが、
きのう野良猫に餌をあげていたんですよ。
金銭的に猫に餌なんてあげる余裕あるのかなって思ったけど、
よく見るとだれかがこぼしたパンくずをかきあつめたものをあげているみたいで。
あれも彼らの生活の潤いなんでしょうね。


……そんなことを思いました。

 

 

 



今回のトピックス


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はい、今回のトピックスはこれ。
いかにもtwitterでバズりそうな話題ですね。

 
この記事の執筆者を槍玉に挙げるようで申し訳ないのですが、
結論としては「どこからどう見ても汚れた大人向けのコンテンツだ」です。
 
 つまり、健全なヒーロー作品や健全な性別の扱いを見たければ
まっとうなキッズ向け作品をえらんで見ればいいという結論になるんです。
 

なのに……
どうしてこういった話題がいつも上がっては消えていくのか?
 
それは「ファンがプロの心理を理解できていないから」です。
「アニメを舐めている」という美辞麗句に熱くなる時点でもうIQが違うんですね。
 


――というわけで、プロとはどういう心理でコンテンツを展開しているのか。
そうして最終的に扇情的な抱き枕のようなコンテンツ展開をするに至るのは
どうしてなのかを長々とご教示してさしあげようかと思います。
 
 
あ、この先のお話しに文句がある人は
・コンテンツプロジェクトの監修・プランニングにたずさわる。
・脚本をこしらえて声優と仕事をする。
・ゲームのキャラをデザインして発注、メインシナリオも執筆する。
・映像化作品の原作者になる。
この四つすべてクリアーした人ならモノを言ってもいいですよ。
 
 
 
 
 
 




ときに
私のように原作・企画などといったコンテンツの運営側に回るための
必要不可欠かつ最低限の能力として、わかりやすい例を一つあげたいと思います。


職業作家でそういう力を持っていることは当たり前なので、
ゲームプランナー・ディレクターの側面から語りたいと思います。

日本が誇る基本無料RPGのプランニングにかかせない追加キャラ
この金を回させるキャラのデザインをして発注して収録して…をくりかえして、
タイトルリリース前に追加キャラを一年分ストックする能力は当たり前に所持しています。
イベントのスケジューリングもしながらなので、キャラを追加する順番もある程度決めています
そうしてそれを実際に実行できるレベルまで持っていくんです。

成功するかしないかは別として、
シミュレーションできなければまず成功はありません
「何を売るか」「どう売れるか」を運営側は見定めていうということです。
もちろん、ファンにはコンテンツと出会ったと思わせなくてはいけないから、
最初からターゲットにした上マッチングしてあげたなんて口が裂けても言えませんが。

 


では、企画者がグリッドマンをどう回そうと思ったか。
を手始めに知ってみましょう。

 

 

 

 

プロがコンテンツを展開する意図とはどのようなものなのか

① ターゲット層へのアプローチとそのアフターフォローについて


ネットを通じて業界に精通するようになったファン。
彼らも虫ではないんですから、反射だけで飛びつくわけではありません。
安心感があってはじめて抱きついていく赤ちゃんのようなもの。これはあなたのための作品なんだよ、ということはあらかじめ彼らに情報として伝える必要があります。
この作品のターゲットである人たちは、『グリッドマン』について、
『汚れた大人たちが下心をもって接していい作品だよ』
ということを、放送前から察していたはずです。そのように伝えていたんですけどね。ビジュアルや放送時間帯や放送前の広報展開などによって、相互理解を育んでいったわけです。

この企画のアプローチの方法はわざわざ説明するまでもなく王道です。
身近な例を挙げると八頭身猫娘でチャームをかけた鬼太郎と同じやり方です。

www.toei-anim.co.jp

どういうことかというと
普通の人は絵に『シコリティ』は感じません(笑)
それを反射で察知できる人種を呼び寄せて
コンテンツの間口にすることが目的の集人灯であることはそもそもからして明白です。

八頭身猫娘(+鬼太郎ヒロインズ)だってもちろんそうです。
猫娘を数話連続で登場させないこと」
がコンテンツの話題になるくらいですから。

とはいえ、ジャンプの新連載でさえ初回にはお色気を入れるのがセオリーです。
下半身への訴えは導入に使える最も容易い方法なわけです。



でも、これはあくまで導入のお話です。


だから「えっちな抱き枕」もあげるよ。

と飛躍する理由を知りたいわけじゃないですか。
もちろん商売になるからやってるんですが、
問題は、それを売ることと買い漁ることがなぜ当然になってきたのか
コンテンツ展開としていくらなんでも不健全すぎないか。ですよね?
一般的ではない人間相手の商売なのは事実だけど、
衆目の触れるところでやることではない、過剰サービスだと。

さきほどジャンプの読者サービスを例に挙げましたが、
ブコメやアダルトコミックでもなければ、
そんな読者サービスは最悪初回の1話だけでもいいんですから。
その後、健全に売ることだってできるわけです。

 

しかし当該作はニチアサでもなければジャンプアニメでもない。
「児童向け」や「一般(笑)向け」の題目がないので、
いちど食いついたら見逃してくれないわけです。

アニメキャラに股間を密着させてくるような人に気をもたせたらそりゃそうなる。
イケメン俳優や美人女優で人目を引くことはまるで違います。


そしてこのプランのセオリーとは、
「作品の呼び水に性的弱者を使った以上は、需要を満たしてあげる必要がある」
「そんな彼らをあなどることなく関係者として真摯に扱ってあげる必要がある」
ということです。釣った魚に餌をやることは当たり前なわけです。


そもそも私は導入だけではなく、グリッドマンはそういう売り方をするつもりなんだなと思ってましたよ。
だって、純粋なヒーロー性を求めるような作品に見えます?
画面の向こうがリアルに見えるのは、幼児までです。
とっくにその能力を失った大人に向けて作ってる作品ですよ、これ。
実写版のイメージ強いからでしょうが、冷静に見れば貞操ラインは『コードギアス』に近い気がしますね。

 




もちろん、一見柔らかく噛みやすそうなきらら系なども含めて
深夜帯アニメにそれを問うのはナンセンスではありますが。

 

② アニメコンテンツがなぜすぐ性的弱者商売を展開するのか。

 

――とはいえ。この件をふくめて、
業界全体でコンテンツの性的弱者商売が活発化しているのは事実です。

アダルト作品や、ラブコメでもないものまで、扇情的な展開をしがちなのか。
抱き枕のような作品の向こうに性的弱者の影をちらつかせる展開をするのか
どうしてもっと積極的にゾーニングして品性を保とうとしないのか


理由をご説明しましょうか。

新しいコンテンツが成功するたびに
二種類の弱者が殺到して
コンテンツのコミュニティが渋谷に変わるからです。

この言葉を理解するためには、
ネットユーザーの作品の楽しみ方というものを知る必要があります。
現代のコミュニティは往年と違いアニメ誌や同好会ではなくネット上に出現するのでね。
次はそれをご説明しますね。

 

 

Ⅰ.ネットユーザーのコンテンツの楽しみ方を知る

 

ネットのメディアとしての能力は「発信力」と「インターアクティブ性」です。
リアルで語り合うのとはまた別のアプローチがあります。

そんなネットユーザーの楽しみ方とは、
売上だったり、PV数だったり、キャラ人気だったり、
同ジャンルの格差だったり、スタッフのパフォーマンスなどを気にすること。
すなわち、関係者になったつもりの夢を見ることです。

コンテンツの一部に融合したい、チームの一員になりたいわけです。
勘違いしてはいけないのは、彼らが期待しているのは双方向性ではないということ。限りなく少ない労力と才能でコンテンツに関わりたいということです。『艦これ』の例を見るように、自分たちのセンスを鏡写しにされたときには認知行動療法が始まる位なんですから。


コナンとか、グリッドマンとかもそうですけど
涙ながらに公式に訴えるって、自分の立場と労力を自覚してたらとてもできませんよね?
関係者のつもりでなければ。

あっあともう一つありましたね!なんか…お姫様的な?
公式が1コマで済ます程度の平凡な発想にみんなして乗っかっただけでしたね(笑)
鏡写しにされたご気分はいかがだったでしょうか。



とはいえ。
人気売上などというメタがネットを通じて目に見える時代、
だれの意見にも干渉されず空想世界と向き合い続けることは、
よほどの感性がなければ困難な時代になりました。いい年してるならなおさら。

 

 

Ⅱ.コンテンツの関係者(表現者)になりたい人たち


じゃ、コンテンツの関係者って具体的にはどんなふうになりたいの?
営業、音響監督、ましてや字幕製作会社の人になりたいわけじゃない。

表現者です。
キャラや世界観を動かす力を持った人間。

そもそも見るアニメを選ぶということさえ表現なわけです。自分の気持ちによりそってくれる作品、キャラを探しているわけです。アニメに限らず全ての作品に通じるものです。

好きな作品からキャラを選び、推すことはかよわい彼らの自己表現なんです。カップリングなんてその最たる例ですね。
もちろん選ばずに否定することも。かたくなに選ばないことも選択ですよね。

だから、公式にもの申してまで、自分を表現してほしいと切に願うわけです。
あれは自己表現なんです。実写化や舞台化に文句をたれることも。
自分にはその資格と能力がないから、肩代わりしてほしくてたまらないんですよ。

彼らがえらんだ作品は、いまや自己実現するために選んだステージも同然なんです。
この作品はすごいって説明したい、ほかのだれかにも認めて欲しい
自分の感性はいまでも正しいんだって。





ネット上に渋谷を生み出す、
もうひとつの弱者の輪郭が少しずつ見えてきました。




現代という時代は表現者でなければ傷ついてしまう時代です。

ネットを通じて、どんな粗末なものでも表現することができるようになった。
そんな中、たいしたこともない他人がいかにも上っ面だけ気取った写真の一枚をあげたり、浅はかなフェイクエピソードの預言者になったりしているのをただ指をくわえて見ているだけではガマンできないんです。

アニメもしかり。
作品を一方的に与えられるだけではつらくなってしまうんです。

これはオタクにかぎったことではないですが、先にいったようにネットを通じるとメタ的なものが見えてしまうし、いい年してるなら尚更無垢に作品に没頭することさえ難しい。

何かを楽しむにも接点をもたないことには耐えられない、アイドルに握手や投票が必要なように。昔からコンサートが必要だったように。

だから、
表現者になりたい人たちがいる。
現実のアイドルと違って、コンサートや握手会で近づく機会さえないのだから。






表現すれば関係者になれる。
ジャンルの一人に、業界の一人に、作品の一員になれる――
与えられるだけではない強い人に。

いちばん簡単な方法としては、レビューすること。自分のつくったものではないにしろ、作品の選んで推すか叩くかで、作品に関われたつもりにはなれます。


でも……。

キャラや世界観を動かす方法がありますよね。


二次創作

キャラを描けるし、ストーリーや世界観にものっかることができるわけです……
つもりになれるわけです……

が。

「クリエイターでいないと傷つくから」やっていることなんです。
クリエイターでいることにアイデンティティを持ちたいからやってることなんです。
表舞台に立てないし、その意欲も含めて能力がないからやっているだけ。


そういう人が描けるものはそう多くありません。
じゃ、何ならできるかって?

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もちろん少女漫画の作家みたいにオリジナルキャラ同士の化学反応を
王道で見せることもできません月9の描写の方がはるかに上手です
表舞台にいない時点で、"独自"がないことはお察しなんです。


そんな普通のセンスの人ががんばって書いたもの、
労力だけを武器にできるものは何か。
オタクの会話は二つしかありません。
知識の共有性癖の共有

そう。

パロディエロです。
しかもただのエロじゃない。
キャラの魅力は原作がこしらえていてくれる。あとはやることをやるだけ。
パロディとエロだけが何かを生み出せない人の武器なんです。



いや…でもそんなまがいもの誰が求めるの…?
実際ただのパロディなんて売れないですよね。まして非公式じゃあ。
けど待ってください。お忘れではありませんか?



――オタクの歴史をふりかえってみましょう。
かつて劇場版ガンダムでは、新規に追加されたシャアの妹のシャワーシーンを拝むためだけに劇場に日参したひとたちがたくさんいたそうです。
今川ジャイアントロボでは予算不足のため、ヒロインのお色気シーンを込めたOVAを予算確保のために制作して売りさばいたそうです。

アニメ表現のストロングスタイルとは別の場所に、
透けて見えるほどあきらかな鉱脈がずっと存在してきたじゃないですか。

だいたいずっと昔から、
創作弱者は性的弱者相手に
二次創作で作品の担い手のふりをしてきたじゃないですか。

 

 

 

 

Ⅲ.表現者になれない創作弱者と性的弱者の合体


コンテンツが人気になったとき、二つの弱者があらわれる。
まずあらわれるのが創作弱者
次に呼び寄せられるのが性的弱者です。

そしてこれらは一個人のなかに同居しているものです。
どれくらい絵や文が構築できるかで比率が変わるだけのものです。
創作弱者同士が傷をなめ合っていると同時に性的弱者同士が舐め合っている
地獄絵図なわけです。

創作弱者はパクり方にも手段を選べない。
非力な人間がだれかと戦うときに『無意味な抵抗』をするか『殺す』しか力加減を出来ないように、『意味のない描写』か『エロ』しかない。

性的弱者はそれでも選んでくれる。
金を出してまでクリエイターと認めてくれる。
性的弱者も相手をおだてれば…永遠のような下半身の寂しさを紛らわしてくれる。そうして表現弱者も半端な上に下品だと一蹴されるだけのものを受け止めてくれる彼らを求めた。痛い高校生が近所の小学生を集めて大将を気取るように…。


え? エロも表現だって?
いやね、下ネタや性癖の暴露とかってオタクの特性じゃないんですよ。
「面白い発想のない人」にのこされた唯一の主張の武器です。
わかりづらいですかね。あ、いいもの見つけました。


【Twitterで話題】神田外語大学の飲みコールがアホすぎるw【OMMC姉貴・この世の終わりみたいなインスタ】





この自給自足の互助的介護関係は構図は昔からあった。
――が、ネットが生まれて、『表現者になれなければ傷つく時代』が到来した。
それで何が変わったのかといえば…

創作弱者の方が性的弱者に助けを求めて群がるようになった。
彼らとさえいればクリエイターであり続けて傷つかずにすむから。
そうして彼らをおだてることで性的弱者も下の寂しさを紛らわすことができる

互いに求め合って、表現の第一線に住めない田舎者
ストレスを発散するために、チカンするために、ナンパしてもらうのを待つために、
話題になったところに集まってさわぐ。つまらない人同士で。――そう。

いつもの渋谷のようにね





Ⅳ どうせ汚れる


……
その副作用として何が起きたのか。

性的弱者はかわいそうに勘違いしてしまった。
自分の下半身を愛でてくれないはずのコンテンツまで気を持つようになった

寂しさにが彼らに注意欠陥の障害を起こさせ、
創作弱者さえをコンテンツの担い手と誤認してしまった。
自分によりそって性的弱者のための表現をしてくれるから
もちろん創作弱者は介護し続けるかぎりクリエイターでいられる。
なんて尊い相互依存。


これによって、ひとつのアニメコンテンツが世に放たれ成功したとき
何が起こるかというと、弱者の流入によってコミュニティはどうせ汚れるということです。

創作弱者は『共有』を訴えることだけが武器です。
コンテンツの母数が多くなければ弱いままなんですよ。
だから成功したところに、母数の多いところに行かなければいけない。
自称フェミニストが一言居士として注目されるべく話題作を槍玉にあげるように。
閑散としたハコの片隅、だれもこない即売会で寂しさを知りたくなんてないから。
世界に開かれているはずのネットの片隅、共有してもらえないものに依存して己の等身大を知りたくなんてないから。

 

そうして、コミュニティで祭りが起きるとき、何をしてもいいんだと思うようになる。
そうして、渋谷に生きている実感を求めにやってきた田舎者のように、やがて何もない地元に戻っていく。
――いつかまたあの熱狂に飛び込むぞと心に誓いながら。

 
 

 

 



Ⅴ 抱き枕を出す意義と、"出さずにいる意味が無い"という事実



ここで抱き枕を出すことの意味が見えてきます。


一つは市場原理。――祭りに酔った性的弱者がそれを買ってくれる
というわかりやすいもの。
二つめはコンテンツのゴミ掃除。――公式が最終回答を出すことで創作弱者を一掃する
というこれも妥当な落としどころ。劣化防止の外壁塗装のようなものです。割れ窓理論になぞられてもいいですが。

三つめは、この一つめと二つめの理由に踏み切るもっとも根本的な理由です。
公式が抱き枕を出そうが出すまいが、コンテンツは汚れる。
女児アニメでさえね。

 

 

③ これからの業界の方向性

Ⅰ.現場はわかっている


ちなみにですが。
抱き枕のような介護用品のデザインが上がってきても、創作強者素面の塩対応ですよ。
とくにアニメのようなチームクリエイトなら、一緒につくってきたキャラとそんなグッズを同一に見るわけないじゃないですか。絵じゃん。
もちろん表舞台で戦えるクリエイターも30代童貞処女な性的弱者は当たり前のようにいますが、やっぱりいるべきところにいれば気位は上がるものなので。
どっかのオンラインゲームを題材としたアニメのプロデューサーもキャラなんかじゃなくて、声優やリアル児童に発情していたように。(もちろん皮肉ですよ)

 



たとえばリアル渋谷に本社を置くサイゲームスの『ウマ娘』の件なんかも、
なぜ非公式の創作に釘を刺したかといえば
弱者にはエロパロしか能がないとわかりきっているからです。

同人市場の需要を満たしているといえば聞こえはいいですが、
他に稼ぐ方法はあるし、生み出す舞台はほかにも場所はある。
それでも彼らはクリエイターでいたい。
だから優しく警告したって、やり方がない。
他にできないし、やらずにはいられないから。
それでも、まともな人は相手にしてくれないから、そうするしかない。
コミュ障が話を広げられずに周囲の機嫌をとるだけのキョロ充と化すように、
それで白けない優しい同類と付き合っていくしかないのです。

 

 

 

Ⅱ.観賞障害者がみちびく『コミュニティの一生』

 

簡単に言えば『コミュニティの一生』が

ファンの手によってコンテンツ上で起きるようになったってことです。


ここまで長々と説明しても、この弱者を理解できない人はいるでしょう。
理解できる人はここまで説明しなくてもわかるでしょう。
そんな異常な存在を当たり前のように擁しているのがこの業界です。
『汚れた大人たちが下心をもって接していい作品だよ』
という定型句がインプットされてしまっている人たちが……。

もはや老老介護同然の相互デミクリエイターズボランティア事業に没頭しなければ作品を楽しめない
観賞障害者というべき存在がネットコミュニティに発生しているんです。



そうして、
新しい集まりが開かれるたびに気の触れた弱者例のコールをさけびあわずにいられない世界。

俺の私の酒を飲んでくれ…
もっと飲ませてくれ…
飲んでなくない?Wow,Wow…

それが今のかよわいアニメファンが形成した文化社会の一側面です。

 

 



Ⅲ.プロはアニメを舐めているのか


話は冒頭に戻ります。
性的弱者を甘い水で誘った以上、釣った魚に餌を与える義務がある
しかし現代はその必要性が高まり、コンテンツの品を捨てるラインも低くなってしまった。
それはなぜか?


野良の性的弱者たちに、潤いを求める創作弱者が拾ったパンくずを与えてしまった。
そうして、可哀想な性的弱者は飽食を覚え、同時に飢えを知ってしまった。
そんな彼らは、おだてれば本物のクリエイターさえ自分のために動いてくれるとまで勘違いした。
人間は求めればみんな餌をくれるのだと。 やがて、餌を与えてくれないのであれば、不買運動さえするなどとさえ言うくらいにつけあがってしまった。

しかしさすがにそこまで暴れるのはかわいそうな人でしょう。かわいそう。
公式にカップリングを非難したり、ゴミを公式キャラにしろと訴えたりってのも加えて。

ただですよ。
そこまで極端でなくとも、物寂しさを感じた人はいるはずですよ。

それは、その点は、業界が向き合わなければいけない介護の責任です。
だから応えられるなら応えてあげるんですよ、ターゲットに利用した以上はね。



え?
公式が、プロがこんなあこぎなことをするな、と思いましたか?
そいつらをターゲットにするような作品を作るなって?
遠吠えは勘弁してくださいよ。

……ときに『大人』というのは。

困難や嫌なことがあったときに
「わからない!」「いやだ!」「知らない!」
といって退行してやりすごしているかぎりは踏み入れられない領域です。

いやなことがあれば逃げていいよ、なんて軽々しく言えるネットとは違います。


やりたいことや、やるべきことのある人が、「わからないこと」や「いやなこと」や「知らないこと」に対して葛藤しながらも、選択するたびに形作られていくものです。
プロというのはそういう人たちです。
葛藤して選択する人間がプロです。ファンとは違います。

いくらアニメというオブラートの表現にたずさわっていたとしても、
依存するだけの人とはちがいます。

「アニメ」を作ると決めた以上、どう売り込むのが最善かと考えた以上、
作品の魅力だけで売れるはずだと手を尽くさない事はむしろアニメを舐めています
そして、
作品を成功させる以上、弱者が徘徊するリアルに踏み込む覚悟はあるということです。

葛藤するたびに選択を重ねるから「昔言っていたこと」「やっていたこと」と違ってくるのは当たり前です。何もしない人間だけがいつまでも同じことを言い続けます。
生業にするということはそうではないんです。

汚れても粗相を世話するくらいの介護の知識はある。
汚されると嘆くことが共感を生む程度の場ではないんです。

当該作さえ自宅介護用のオム…いや二次創作のガイドラインだってだしてあげたじゃないですか。
おそ松やけもフレなんて最高にうまく弱者に媚び売ってたじゃないですか。

ここまで長々に語ったことくらい、
表舞台の第一線でやっている人たちは当たり前に持っていますから。
自転車操業でお色気アニメ連発するようなスタジオ、IPのガチャゲーしか出せないところはどうか知りません。





以上、福祉の現場からお送りしました。







ところで抱き枕は女性を舐めているかどうかという事ですが…
品に欠けることはまちがいないんですけど、私から一つだけいえることは、

ここまでの話、
男性向けだけの話じゃねぇから。

ってことだけですかね。そこをクリアーしてくれないと論じるにも値しません。

 

④ 弱い人たちのよりどころ


もう説明することもなくなりましたね。

 
ちかごろは自称イラストレーターやアニメーターの愚痴が多いのもうなずけます。彼らはもののいえない企画下のブルーカラー。海外の作画担当の呼び方を使うなら『なぞり屋』、創作者ではありません。庵野監督のように表現できるものがある人はだれかに認められ独り立ちします。そうして自分のコンテンツを原作レベルから構築していけるんです。

ぱっと思いつくかぎりでは相田裕さんや羽海野チカとか。第一線に立つ能力のある人は模倣の重要性を題目にいつまでも申し合わせ済のゲームは続けません。まずは自分の適正価格を考えてみたらいかがでしょうか。その上で自分を売る先を見定めてください、プロになりたいのだったら。

それを思うとSNS――特にTwitterなんかは。
『社会不適合者の愚痴』や、

『山もオチもない恋愛シチュエーションの披露』、
『売れない底辺自称作家の日常公開』、
といった表現が漫画形式で広がる傾向がありました。
そしてそのほとんどが実際に市場に出したところで相手にはされませんでした。

彼らは弱い人なんです。
同じように弱い人の共感を得ることでしか訴求力をもてないんです。
いい年してたくさんの作品とすれちがっていれば、自分の感性が磨かれ、
自分だけの表現をつくる能力など磨かれていく。
それができなかった、見たいものしか見れなかった人たちです。

そんな弱い人を相手にするのさえプロの義務だと知っておいてください。



いずれにしろ。
それらの弱者は業界が利用してきた奴隷です。
ただ、その歪みが実際にそろそろ目についてきたのは事実ですね。
関係者面の奴やミソジニーミサンドリーが暴れ始めだしたのも世の流れでしょう。
今回の円谷プロの動きや、先述したサイゲームスの件をはじめとして、
もちろんそのあたりの歪みの是正を意識して動き始めていますよ
本能で察知できる人は薄々づいてるとは思います。不買運動をはじめるくらいにはね

飢えに狂った野良猫だって寄る辺がなければ孤独に適応します。
ホームレスには公園に居場所がなくなっても、いままでのように
東方艦これFGOさんのプレハブがありますから大丈夫です。




そして今も昔も、野良猫とホームレスの乱痴気騒ぎを
プロたちはビルの上層から冷静に分析しています。

 













ちなみに…
あなたは絵描き?
それとも文字書き?
コスプレイヤー
あるいは声真似?
それともネットのレビュアー?



そこのあなたは……見るだけ? 追いかけるだけ?
今の時代にそれはすごいことだと思いますよ。本当に。








[閑話]
模倣を卒業できなくても最悪コミカライズくらいまでは行けますよね。
あとは絵描きも文字書きも、パロ無しのエロでもじゅうぶん弱者の武器になります。
シチュエーションだけで映像化までもっていった人だっていますよね。どうしてもオリジナルの看板が欲しいならそっちをオススメします。絵描きなら運が良ければ作家に目をつけてもらってジャンプでやらせてもらえるかも…。ただ、中抜きをクリアーにする術だけは学んでおかないと経歴にケチつく上に貧困に苦しむハメになりますよ。