全方位に喧嘩腰

無駄な有識者が各業界の裏側から流行のトピックス・ニュース・作品・表現について語るブログ

「FFⅦリメイクは失敗する!」現役ゲームクリエイターが"真剣に"追求するスクエニの現状

 


現役ゲームクリエイターとは誰かって?
すまんな、私だ。
ゲーム分野においては、ドラクエの堀井さんもかつてたずさわっていたシナリオライティングを主戦場としています。


しかし筆者はスクウエア・エニックスと案件をもったことも、所属していたこともありません。
ただ、スクウェア&旧エニックス、あるいは旧スクエニスタッフが多くいる血縁的会社や、彼らがサードパーティーとして付き従っているリーディングカンパニーとはつながりがあります。
スクエニを知る人間も周囲にいないのですが、旧の状況なら聞くことはできました。
なので、今回の記事はある程度類推が入ってくることはご了承ください。
しかしその分いつもに比べて煽りは控えめになっています。


というか、今回の記事はじつはお蔵入りにするつもりでした。
いくら匿名とはいえ業界の他社を邪推するわけですから、せめて現スクエニの内情を知っている人間が身近にいてほしかった。それくらいの根拠がないとやってはいけないのかなという思いがあったわけです。
……ですが、ふと気付いたのです。
第一線でゲーム製作に関わっている私であるにもかかわらず、周囲には近年スクエニからやってきた人間が一人もいないということ。
――その事実こそがスクエニの病巣のありかを如実にあらわしていることに。

 

 

 

 

今回のトピックス

てことで今回のトピックスはこれ。




ひどい。


まずは一番上と二番目の件。
簡単にいえば「発売するぞ」と広報していたAAAタイトル関連ソフト
総合的な損失がやばいから
4作中3作「やっぱ出しません」と言ってのけたという事件。

下の件は、FFⅦリメイクが発表されてなお、実は人員が集まっていなかった、開発してなかったよということが判明した事件です。


しかしこれらの狂騒によって、
実はスクエニが抱える問題は丸裸になりました

というわけで、スクエニが抱える問題をこれから
A.社会人なら察するレベル
B.業界人なら察するレベル
の二段階に分けて説明しようと思います。
その上で、我が思い出のFFⅦリメイクの約束されし失敗の根拠と、
それを脱却する方法をお教えしようかなと思いました。
わりとマジでこの記事はスクエニの人に見てもらいたいところではあります。

これまでの記事はなんだかんだ唾棄されてもよかったですが、今回の記事は長々とお付き合いしてもらいたい気持ちはあります。なんだったらアドバイザーとして関わりたい気持ちさえあります。



では、とりあえずかつてのJ.RPGの雄の凋落の原因を探っていくことにしましょうか。

 



――ちなみに堀井さんがいる以上、ドラクエプロジェクトはまだ安泰だと思います。
だから今回は坂口氏が失われておちぶれたFFブランドに重点を置き語ります。


スクエニの現状を追求する

① 社会人なら察するスクエニの問題点


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スクエニの諸々の失態はディレクターの勇み足に端を発します。
どのような力学がそうさせたにせよ、開発していないものを開発していると言うことは"早い""遅い"の問題ではない。理由はいくつか考えられますが、いずれにせよ同じことです。
『JP GAMES,Inc』代表にして、FFXVの元ディレクター・田畑氏の諸々の出過ぎた言動に関しても同じことが言えますね。


ではディレクターという業種はゲーム会社においてどのようなものなのか?
ここでゲーム開発現場の構造を簡単にお教えします。

-----強-----
社長、幹部、プロデューサー
ディレクター&シニアディレクター
プランナー&シナリオライター
制作・開発に関わるその大勢のマンパワースタッフ
-----弱-----

こういったトップダウン構造になっています。
複数のプロジェクト(以下PJ)を抱えている巨大メーカーなら、ディレクター以下がPJ毎に存在しています。権限によって力関係を区分するとこうなります。


社長・幹部・プロデューサー
==経営判断の権限==
ディレクター・シニアディレクター
==開発進行の方向性を決める権限、実装判断の権限==
プランナー・シナリオライター
==企画・発注・主導の権限==
その他大勢




――では、

ディレクター陣の勇み足が起きる原因とは?





社長・幹部・プロデューサー←ココと
==経営判断の権限==←ココが機能していないから
ディレクター・シニアディレクター
==開発進行の方向性を決める権限、実装判断の権限==
プランナー・シナリオライター
==企画・発注・主導の権限==
その他大勢

 



つまりなんですが、これは社会人ならわかると思います。
無能な上司が「どうにかしてくれよ」と仕事を投げた結果、
本来決定権のない下位の人間が「判断せざるをえない」ことになってるんです。

開発現場の人間が、客観的に、マクロにゲームのクオリテイを見ることは不可能です。
なのに総合的に出来不出来を判断するべき上層部が何もしていない
だから、若造のディレクター風情が判断を下さなければいけなくなっているんです。


この手の複数PJを同時進行している巨大メーカーには社内検討会があります。
(もっと正確な言い方はありますが、それを言うと私の所属がばれかねないので控えます)
ミーティングなどで制作中のPVを披露してきゃっきゃする憩いの場とは違う。
経営判断の権限を持つ人々や、他PJの責任者を交えて、会社全体でゲームの開発進行状況を精査する監査の場です。

そこで考えてみてください。

あれほど未完成といわれたファイナルファンタジーⅩⅤでさえ
この社内監査の洗礼を受けているんです。
経営判断者やその他有力者はすべてあれを目の当たりにしていたんです


……ただ、ある条件下においてこの登竜門はフリーパスと化します。
プロジェクトの主導者が、社長であったり、また、社内ででかい顔のできる古株ディレクターであったりする場合です。

ゲーム会社は出入りの激しい職場です。
有能な人間はすなわち実力のあるクリエイターですから、そういった人間がひとところに留まるということはないんです(私も一つの会社にずっと所属はしていません)。とくにディレクションなどのクリエイティブの能力を問われないポジションで"古株"になっているというだけで大抵は無能になります。

おおかたクソゲーとはそうして生まれるものです。
そして思い返してみてください。
上層部から仕事を投げられるということは、ディレクターに政治力が与えられたということです。でかい顔ができる権利を結果的に与えられてしまっています。上層部の監視がないので、結果的にそういうことになります。

これが、社会人がチラ見するだけでわかるスクエニが抱える問題の根幹です。
経営側制作・開発側が分断されてしまっているということです。

脳機能を失って這い回るゾンビというのは言い過ぎでしょうか?
FF15が過去の遺産をネクロマンスしてなんとか動くようにしたもの、前頭葉を失って何が正しくて何が悪いかを判断できないまま与えられた命令を実行したもの。
といえばあながち筋違いではないと思いますが……。




さて、ここまでは素人でさえ見誤ることはないでしょう。
ここからは私の経験則が問われてきます。









② 業界人なら察するスクエニの問題点

ここからはかつてのスクエニ(10年前近く)スタッフの証言付きの話になります。
スクエニが合併する前のスクウェア時代、エニックス時代は才能の宝庫でした。
互いに日本ゲーム業界の中心たるJRPGの覇を競う二大巨塔だったのですから、それは言うまでもなく当たり前です。
しかし彼らは今私が関わっている現場の方にいます。
そう、現在のスクエニにはもはやかつての二大巨塔を支えた才能はいないんです
 
ゲーム会社は「才能の止まり木のようなもの」であることを先ほど触れました。
その『才能』を引き留めるのは、彼らのセンスを刺激させるに足る魅力的な「プロジェクト」と、人間社会最大の評価基準である「金」のみです。
巨大ゲームメーカーはその二つの血管をもって、巡る才能を統率する心臓と化し、いくつもの作品を生み出し続けてきました。
クリエイターが出入りする中、いくら引き継ぎをしても、センスを引き継ぐことはできません。それでも、外せないスタッフを金で引き留めることで、ブランドの中身を支えるという方策をこれまでのゲームメーカーはとってきました。

つまりスクエニはそれができなかったということになります。
はたして何があったのか?
 
かつてのスクエニが陥った赤字経営時代にさかのぼります。
外部から承知した和田CEOが大なたをふるって有能な人材を次々と切ったという流布もありますが、そもそもの実体は
赤字なんだから才能を引き留められるわけがない。
というところにあるわけです。ごく単純な有能スタッフの流出です。

いくら引き継ぎをしたところでセンスは引き継げません。
そうして、しくじるべくして輸血にしくじり、メーカーは壊死したのです。
 
スクウェアエニックスを破壊しつくした和田洋一を振り返る、10年の戦いが終結
ちょうど同じことを語っているこの記事にいい文言がありました。引用します。


そもそも、旧スクウェアは一部を除いて金で人を寄せ集めたような会社だったわけだ。
その会社が、金がないからと人が去り、残ったのはカスのような人材のみ。
 
逆に入ってくるのは旧スクウェアのゲームが好きだったおたくのような存在。
そんなものがまともなゲームを作れるわけないよな。
 
そうして出てきたのが「ファイナルファンタジー13」であり「ファイナルファンタジー14」。また、遅々として進まない「ファイナルファンタジー ヴェルサス13」なども同様だ。

「好き」という気持ちや「ファン」であることしか武器がない――
――そう、まさに同人作家のような人間が入ってきてしまったわけです。

一方、自分の能力を金に換えられる人間は出て行くのは常です。
そして、そうではない人間が居座る。もっとも問題なのは――それは制作・開発レベルではなく、
上層部でも同じことが起きていたんです。





つまり、ゲームを作る才能がない人間が、ゲーム会社の上澄みに残ってしまった。
たとえるならば、自社内部で発生した天下りです。
 
そんな彼らに何ができるかといえば……
美空ひばりの息子などを見るとわかりやすいかもしれません。
 
歌もうたえない息子に残されたものは母の遺産。
その遺産を管理し、骨までしゃぶるように切り売りすることだけが唯一できることです。
 
遺産とはゲーム会社においてはIP(知的財産)と呼ばれるものになります。
たとえばFGOなどはfateシリーズ」という『TYPE-MOON』に帰属するIPを許諾を得た上で借用しているゲームタイトルです。
一方、スクエニの場合、かつての才能はのこっておらず、『ファイナルファンタジー』や『サガシリーズ』など彼らが残したIPだけがある。
――それを使ってできたことは?

チャゲーですよ。

粗末なFFタイトルのソシャゲが連発されているのはそういうことなんです。
自社IPでありながら、作ったのは過去の先人たちであって、
他社IPのガチャゲーを作っているのとまったく同じ構造なんです。
ただ単に自社が保有している知的財産でしかないってことなんです。
他社IPならまだ慎重になるが、自社のものだから「数撃ちゃ当たる」を平気でできる。



これ、以前語った創作弱者の悪あがきとそのまま同じなんですねえ。
エロはなくとも、パロだけでなんとかしようとしているってことです。





そんな彼らだからこそ、FF12FF13、なによりFF15といった
見るに耐えない貧弱なコンテンツが生まれてしまったんです。

――どういうことか?
なぜ貧弱なコンテンツの量産を良しとするのか?


直近のFF15の未完成DLC商法や、FF15のIPを使った派生ゲームの連発を見てください。そして、間を置かずしてFF15キャラが自社ソシャゲに派遣されたことも。
 
スクエニの上層部が欲しかったのは、
すでに使い古しになりつつある過去のFFに代わる新しい知的財産――

ファイナルファンタジー15」という新たに使い回せるIPだったんです。
誇れるゲームタイトルが欲しかったわけじゃない。

創造性のない人間が資産運用するための、
新しいファイナルファンタジータイトルを求めていたのであって、
中身なんてどうでもよかったんです。

そもそも15が元々「FF13ヴェルサス」なんてタイトルだったことからして明白じゃないですか。新しいものを作るつもりなんてなかったんですよ。

12も13も15も見るべきものがあるのはわかっています。でもそんなこと言及する場ではない。15で問題視されたシナリオの特徴だって私ならプロとして分析できますしどうすればよかったかもわかります。でももう遅いんですなにもかも。
 
さあ、現在のスクエニ上層部が求めているのは
ロイヤリティあふれるファイナルファンタジーのIPだということがわかりました。

彼らは、魔法のようにIP資産が手元にあわれることをずっとずっとずっと願っています。
その上で、スクエニの勇み足を見直してみましょう。
 

人材不足・開発未定にも関わらずのFF7リメイクの発表。
2018年決算報告におけるAAAタイトルへの原点回帰宣言。
一方、知的財産として見限ったFF15DLCの開発中止。

赤字の部分は経営判断できる上層部しかゴーサインを出せないものです。

そしてこれらはすべてIPを求める希望的観測であり、そのアピールでもあり、
しかしてその実態とはスクエニの上層部が両手を合わせて祈るだけの

かみさま、ぼくこんなものがほしいな

というだけのお願いなだけなんです。
同時に、こんなものいらないよと自社製品を切り捨てる幼児性まである。

そんな思考を平気で承認し、発表させ、平気で取り下げちゃうのが現在のスクエニです。
最低の体制です。

ファイナルファンタジーという魔法の枕詞があれば、魅力的なIPが生まれてくると思っているんです。そういえばFF15の魔法はやたら強力でしたね、そういうことか。



……さて、これらが現状のスクエニ上層部が抱える問題です。

もちろんディレクターが優秀ならドラクエのように安定感を持つことはできます。特に堀井氏はシナリオライターだし、ビジョンというものが明確にある。
一方、ビジョンを持たない絵描きやプログラマーが継承できるようなものではない。仕事をたくさん抱えているかどうかなんて関係ありません。








――しかし。
「だからFF7Rが失敗する」というのはただスクエニを軽んじているだけです。
あくまで論理的に、しくじる理由というものがロジカルに説明できるんです。












③ 第一線のクリエイターなら察する問題点

スクエニの決算報告において事業方針の転換が宣言されました。
次なる方針とは、

事業⽅針の⾒直しを実施し、
同社の強みをより⽣かす⼤規模⾼品質ゲーム開発へ集中

すること。当面の大本命がFF7Rであることは言うまでもありません。

はい、ぜったいに失敗します。

とはいえ、ファイナルファンタジーにおける失敗とは売上ではありません。FFのナンバリングであり、適度な広報を打てば、必ずミリオンに乗るのがFFです。
たとえばFF15は800万本を超える売上によって既に開発費の回収を果たしている。
それでもDLCは乱暴に打ち切られた。つまりIPのロイヤリティが既に死に絶えたからです。ロイヤルエディションが起こした悲劇や、生まれながらにして死んでいった派生ソシャゲの末路を見れば素人にだって先がないことくらいわかります

これがファイナルファンタジーにおける失敗の定義です。



FF7はここまでよく延命しましたが、今回でいよいよ出涸らしになるってことです。
作者がそこまで考えてない程度の作品がアニメ化と同時に消費のゴールを迎えたように。

もちろん、特別損失37億円を計上してまでルミナスエンジンと直結するFF15の開発を打ち切ったのは、もうFF15では稼げないからです。いやそれどころか、将来的にそれ以上の巨大な損失が見込まれる不良債権となったからでもあるんです。
また、ソシャゲ事業の言及からわかるようにIPの切り売りすら通用しなくなってきたことから、FF7コンテンツにすらケチをつける反動は単純な損益を超えて凄まじいもののはずです。それならいっそ出さない方が良い、虚偽申告によって会社に対する期待値を維持することができますから。
 

ではなぜFF7Rは失敗するのか?
それは、「スクエニがこれまでFF7を使い回し過ぎて陳腐化したから」とかではなく、「リメイクが遅きに失したから」といった理由でもありません。
 
スクエニは「大規模高品質ゲーム」を勘違いしている。
すなわち、
スクエニが目指している「高品質ゲーム」は、ユーザーの考える「高品質ゲーム」と合致しないからです。

スクエニ工数をスリム化して、余剰人員を巨大プロジェクトにいくら投入しようとも誇れるAAAタイトルにゴールできないのが目に見えているからです。


大規模高品質ゲーム(AAAタイトル)――それらRPGの成功例といえば、ファンタジーなら直近では「TESⅤ:スカイリム」や「ウィッチャー3」などネットワークに頼らないロールプレイング勝利者の座についています。でも今のスクエニには到達できません。ビジョンあるリーダーがいればドラクエのような地域密着の堅実な作品まではいけますが、AAAタイトルだけは絶対に不可能です。

なぜって?
優秀な人材がいないから。


上層部と同じように、
ディレクター・シニアディレクター ←ココと
プランナー・シナリオライター ←ココと
その他大勢のマンパワースタッフ ←ココが
無能ばかりだからですよ。



どうしてそうまで断言できるのか?
スクエニがリリースした最新のハイエンドゲーム
ファイナルファンタジー15
を例にとって説明しましょう。
だってこれが彼らの思う高品質ゲームの代表なんですから。






ではここで質問です。
はたしてFF15が「力を入れていたもの」は何でしょうか?
ここにこだわったとアピールしていた部分は何でしょうか?












――そう、おにぎりだよ。


『ファイナルファンタジーXV』延期の裏側と目指す到達点――田畑端氏インタビュー【gamescom 2016】 - 『ファイナルファンタジーXV』ファミ通.com 特設サイト


おにぎりひとつに
召喚獣リヴァイアサン
と同じスペックの労力を注ぎ込む狂気

けど笑い話じゃないんですよ。
路傍の岩なども実際に撮影して、それを取り込み、ビジュアライズすることに心血を注いでいたというエピソードもありますね。そしてVRシステムを適用してやることは釣り、力を入れたのは魚のグラフィック……。
それを公式が推す神経が異常なのは素人でもわかりますよね。

グラフィックやムービーに力を入れていることはわかります。
ただ、総合的に見たらすごくもなんともないですよね?
どんなグラもお使いでとおりすぎるだけだし、シナリオはどっちらけだし。
だいたいちょっと動こうとすれば、バグが起きるし




……けど、この惨状ってすごくロジカルに考えると単純な答えが出るんです。
狂気じゃないんですよ、こうなるにいたった経緯にもっとわかりやすい説明がつくんですよ。クリエイターならみんなよくわかることです。


これは、
ゲーム開発のみならず、
映画やアニメなどをもふくめた
あらゆるクリエイティブにおける一つの重大な至言です。



グラフィックはマンパワーで向上する。
才能はいらない。


グラフィッカーは認めたくないと思います。けど、グラフィッカーがグラフィッカー同士で傷をなめ合わないといけないほどバリューがない存在だということは同人誌記事ですでにお伝えしました。

abcefg3135.hatenablog.com

というか、もうさっきのおにぎり記事で言ってるじゃないですか。
「実物を取り込んだ」って。絵と同じように、もともと存在するものを具現化するのは
体力と根気だけでどうにかなるものなんです。基本はデッサンで、応用もデッサンで、それを超えるのはピカソですらなしえなかったんですから。


つまり、
消去法で繰り上がっただけの半人前ディレクター
会社を股にかけることもできない平凡なゲームクリエイターができることって

絵面をキレイにすることくらいしかないんですよ。


FF15の制作進行がグラフィックの洗練に傾注したのは、それしかできないからです。
ユーザーへのプレゼントであるゲームソフト、その中身そっちのけで、ラッピングにばかりに悩んでる人たちなんです。
商品が作れないから、そんな頭さえ働かないんです。

たとえば
子どもがドラッグストアに行ってお使いするだけのゲーム
でしかなかったとしても、町並みをリアルに綺麗に描くことはできるわけです。どんなに中身がなくても。でもそれは絵じゃん。で終わるわけですね。それと同じ。


逆にいえば、人材が失ったスクエニでも、頭数さえ集めれば、体力と根気の合計値によってグラフィック面は上の水準までもっていくことができる
塵を積めば(グラフィックを取り込めば)、山になる。当たり前ですね。
 
……そこにこだわるのは、「ファイナルファンタジーの魅力は美しいビジュアルだから」でしたっけ。いやあ、いかにもグラフィッカー上がりの野村氏がそれしかできないという自己欺瞞の果てにたどりつきそうな答えですが、
違いますよ。
もともとFFは、FF3の飛空挺の挙動や、FF4の召喚獣・リアルタイムバトル、FF7のキャラが操作できるムービー、FF8のムービー等身を維持したままの全編操作など、不可能を可能にして、未知のゲーム体験を売ることが武器だったんです。
美しいムービーやビジュアルを維持したままのゲーム進行なんてもうとっくに可能にしたんだから、こだわるところじゃないんですよ。もともとFFには既存の力関係にさえ加わらない「アイデアマン」というポジションさえあったんですから。
一方、野村氏のアイデアなんてファルシのルシがコクーンでパージみたいな、
きさらぎ駅のような奇怪な異世界体験しか与えてくれなかったじゃないですか。

グラフィッカーでセンスが出るのは【動き】の部分です。たとえ高品質なグラフィックでなくとも、スパロボアリオスの人とか花騎士の茶助とか、けっして出来の良いモデルをつくれなくとも、動かし方には他人とは異なるセンスが出ますよね。


……けど、そのグラフィックさえ実はまともに機能していない。
止め絵しか綺麗じゃないから。



【FF15バグ】車の若者離れ【コメ付き】
 

止め絵だけ見栄えのいいモデルだけポンポン置いて、ろくに連動も機能もしない。
真顔で黙っていれば美人というどうしようもない置物しかない。
なんでこんなことになるかって?
プログラマー要求に応えられないから。そもそもなんで数多のバグがあるかといえば、ゲームの屋台骨を支えるプログラマーが役立たずだからだよ。

魔法さえ使っていればいい戦闘、終盤のあれこれのレベルデザイン……ひとつずつ数えていけばキリがないけど頭脳労働の人員さえまともに頭を使えていない

そして、多方面からむちゃくちゃ叩かれたシナリオライター。いかにも女性作家の悪癖が出ていることはまちがいない。けどそれ以前の問題がありました。


彼女のやりたいことくらい同業者なんだからわかりますよ。
あの人はいわば、松本大洋今やすっかりおちぶれたひぐちアサみたいに
台詞でキャラを表すのではなく日常的な言葉と自然な行動で描こうとしていたわけです。犠牲に心を痛める心優しき王子が、それをして使命と向き合い、なお「辛いよ」と告白する物語を。

星の危機に立ち向かう王子でなく、厳格な家に生まれたスパダリでやれと思わざるをえないですが、それはそれとして、長い旅の道中、幾たびも交わされる彼らの言葉や行動から、彼らの人間としての輪郭をつかんでほしいってことでしょ? やりたいことは100%わかってるけどそれが筋違いなの。
自分が主人公じゃないRPGって、感情移入したいキャラが必要なの。まずどんなキャラか明確に伝えなきゃいけないの。
だらだら架空のキャラの生態を描いて、それを観察していれば勝手に性癖にクるような「やおい」とは違うの。

FF5~10は特にキャラが一発でよくわかりました。初見で主人公がアホの子だとわかるFF5から、初見でちょっとアホな子だとわかるFF10まで……。
さっきも挙げましたが、ラストのノクトの「やっぱつれぇわ」もそうですよ。
伝えたいことをはっきりと全部こう示せばよかったんですよ。

「歴代の王に並ぶ覚悟はした」
「ここに来るまでの犠牲すべてを力に変えてみんなの期待に応えるつもりだ」
「だからもう言葉は出てこない」
「でも、お前たちと旅をした一人の男が、伝えて欲しいって言ってるんだ。最後に」
「『やっぱつれぇわ』って。」

いやまあ仮ではありますけど、こういうことでしょ?





上層部は仕事しない。
ディレクションはビジョンがない。
主導はやおい
マンパワーはノーパワー。
できることはよってたかってパッケージに力を入れるだけ。
そんなスタッフがみちびくFF7の未来予想図はもう見えています。

話題になるのはやたら気合入ったクラウドの女装だけ。

それだけ、マジで。


グラフィックが向上しないとできないことなんてないんです。
フリゲレベルでは、かの怪作インディーズゲームHotline miamiのドット2Dをベースとして、『Half-Life2』のゲーム性を見事に再現したような例もあります。やりたいことというものがはっきりしていれば、どんな媒体でも再現はできるわけです。
グラフィックなんて、荒野行動レベルでさえ充分なんです。あの会社ってマーケティングは上手いし、しかも、プログラマーは優秀です。軽さは優秀さの最大の尺度です。スタッフは精鋭で、能力はスクエニのそれを上回っているでしょう。人数に差があるだけ。
 

プランナー◆20年の時を経て生まれ変わる「FF VII REMAKE」を創造せよ。


当時話題になったFF7Rスタッフの求人ですね。
FF7への熱い想い」とかさあ……だから同人かよって。
やるべきことが違います。

まずは当時のスタッフを大枚叩いて召喚すんだよ!

だいたい、ちゃんとした物作りできる人は、「好き」という前提条件がなくても「理解」します。「好き」とか「ファン」であるとかが免罪符になるのはアマチュアまでです。ファンやオタクがクリエイターになれないっていうのは昔からの金言でしょうが。
自分のセンスがある人なら、そんな情熱などなくても求められているものを理解できるし、1からコンテンツを好きになっていくことくらいできます。さすがに「知らない」となると問題があるかもしれませんが。

そもそもFFはドラクエのコピー作品でしたけど、ドラクエを作ろうとはしてませんでしたよね? ドラクエが好きじゃなくていいんです。まして"創造"とまで言うのなら。

だいたいグラフィックに関しても、止め絵が上手なだけで、
これをほめそやすのはゲハ戦争の兵士たちか同じレベルの人間くらいのものでしょう
スクエニの美麗なグラフィックは、プログラムとは連動しないただの風景です。
本気でグラフィックを向上させたいなら
ピクサーの小林烈氏くらいのレベルを引っ張ってくるべきなんですよ。




開発ラインを整理して、他PJから人員を引っ張ってきてもまともなAAAタイトルが作れない状況は変わりません。他社から引っ張ってくるしかない。
必要とあれば積極的に外注すべきだ。アンリアルエンジンで開発なんだからそれも問題ないはず。
なによりもまずプログラマーが必要だ。それがすんだら、あとはもう片っ端から。できることなら元FF7オリジナルスタッフ。いなければ高給とりの優秀な人を。スクエニ内部に見る目のある人間がいないから、いっそプロデューサーを立てればいい。可能ならばなんとか坂口氏を監修の立場に組み込む。
とにかく、
外様にデカい金ばらまいて傭兵に来てもらうしかないんです、かつてのスクウェアみたいに。


www.jp.square-enix.com

まあ実際はこうですけどね。"FF7で育った"クリエーターが結集中だそうです。
それが無能の尺度になるわけではありませんが、上がこれを誇るのでは話にならない。

冒頭でアドバイザーになってあげてもいいといいました。
まあそうなることはないでしょうが、どっちにしろ、私は傭兵集め三者監査をおすすめすることになると思います。もちろん後者は極論で、ゲーム会社特有の守秘義務ゆえに難しいところではありますが…。(ゲーム会社は開発フロアの窓が全て締まりきっているくらい情報保護に敏感なところです)



ゲーム業界は才能ある人間が会社に股をかけて活躍する戦場です。
とくに大きいメーカーになればなるほど毎週のように新しい人材が入ってきては出ていくといった様相を呈してきます。OJTもそこそこに一週間たたずに戦力としてバリバリやっていくのが当たり前の世界です。
――そこで見えてくるひとつの現実。"近年スクエニにいた"というクリエイターが第一線の私の周囲にいないということは、だれも外に出てきていないってことなんです。
スクエニ新陳代謝を失って、老廃物がたまりにたまってるんです。

才ある人間が必要とされています。問題点も改善点もただそこだけです。

だがそういった人物の価値をはかれる人間がいるかがまず怪しい。
だからさっき言ったように、プロジェクトの裁量を全権委任したプロデューサーでも立てるくらいのことをしてもいいんじゃないかというのはわりとマジで言ってます
もちろん多額の予算を与えて、ですけどね。










ところで、みなさんは
ダウンタウンの浜田が司会を務めるバラエティ番組『プレバト』はご存じですか?

『プレバト』には、芸能人がしたためた俳句を、辛口の俳句の先生が採点する人気コーナーがあります。
そこで一つの句をめぐって先日史上はじめての出来事がありました。



帰省ラッシュの思わせる渋滞の写真を見て一句。

 変わらぬ景
   うつむき見たり
        草紅葉


『才能アリ』と評価されたこの一句。
しかし詠み人の解説によって評価は逆転します。
「変わらぬ故郷への郷愁」を描いたものかと思いきや、単に「車が渋滞で進まなくて暇だから、窓から首を出して道ばたの草を見ていた」ということをうたっただけだと判明したのです。中身がスッカスカなことがばれて、いくら響きが良かろうが、ゴミはゴミとして『才能ナシ』の烙印を押されました。

この場合、解説さえなければごまかせたかもしれません。しかし、ゲームはそうはいきません。プレイヤーを架空の世界に招き入れ、彼らに没入感を与えるもの。いくら上張りが良くても、そんなものは中身の貧困さに比べれば何の足しにもならないのです。

そうなったとき、どうすればいいか?
その答えは、「才能ナシ」の烙印を与えた先生が詠み人に送った言葉にあります。






一からやり直しましょう、そうしましょう。








[閑話]
私がいちばん好きなファイナルファンタジーは5です。