全方位に喧嘩腰

無駄な有識者が各業界の裏側から流行のトピックス・ニュース・作品・表現について語るブログ

安田純平をめぐる報道は、"新時代の24時間テレビ"だ!

 

 

 

 

 

 

今回のトピックス

 


【ノーカット】安田純平氏 記者会見



はい、今回のトピックスはこれ。みなさんはもう見ましたか?
時間を無駄にしましたね。

見ていない人にあらすじだけお伝えすると、
安田さんが多くの個人的な解釈と、お部屋の扇風機の強さについてとかを一生懸命お喋りして、
あとは、台本を見ながら質疑応答イベントを消化したという内容です。
つまり、ひとりよがりの感想戦やってるだけなので、ニュースとして捉える事実は
なにひとつとしてありませんでした。

ジャーナリストは記事を書くのがお仕事のはずなんですけど、
この人が幾度にもわたる人質生活を通して世間に伝えたものが

お散歩からはじまる
ゆるふわ人質生活コメディ

ってさすがにコントとして上出来過ぎませんか。
きららでやれ
と思いました。

言うまでもなく中東で誘拐はビジネスです。
そういえば映画化もされたクィネルの『燃える男』を近ごろ読んだんですが
誘拐ビジネスが横行するメキシコを舞台とした物語なので個人的にタイムリーでした。

 

そういった勢力との結託や狂言誘拐だという人もいるんですが、
記者会見で「誘拐犯に説教してやったった!!」とか虚勢張ってるあたり、
学習能力のないおバカさんが生き餌として利用され続けているだけな気もします。
誘拐ビジネスにもカモリストはありますから。
調べてから誘拐するんですよ、ちゃんとね。

まず自己責任論について

とりあえず自己責任論。
私は"助けてあげてもいい"と思います。
流れた金が新しい犯行にもちいられる武器の調達金に変わるだとか
そういった流通の視点は置いておいて。


いずれにしろ、この人が伝えられるものが
きららの新連載作アイデア出しだけなので
ジャーナリストには程遠いわけです。プリキュアになりたい園児と同じです。
プリキュアごっこしてたら本当の犯罪者と出会っちゃったみたいなそんなお話しです。

印象でしかモノを語れない。
なにひとつ現地から、あるいは物証をもって物事を伝えられない。
なにより学習しない。
妄想でモノを語ってあとから「個人的解釈ですけど」とか言う人。

こんな人の記事に読む価値あると思います?
だってただの感想文しか書けない人じゃないですか。

つまり、もののわからない一般市民。
だから、かわいそうだから助けてあげてもいいんじゃないですか?
社会的支援が必要な人って記者会見を見ればわかるじゃないですか。かわいそう。

責任能力なんて…あると思います? 授業中教室から飛び出しがちなアレな子に教育を受ける義務を解くとかまともな市民のする仕打ちじゃないでしょ? それと同じですよ。




そうだ、あの人だと思ってください。
自称「youtuber」「作曲家」「小説家」にして、
どれひとつ張り子の虎でしかなく、しかしてその実態は

 

奇行力の化身
のびハザの人気を自分の人気と勘違いした男
のびハザとともに生き、のびハザとともに死んだ男
≪オフ会0人≫自称大物youtuber syamu_game









そして、新たに生まれたフォロワーこと

 

 

奇行をジャーナリズムと勘違いした男
誘拐ビジネスとともに生き、誘拐ビジネスとともに死んだ男
新たなる奇行力の化身
≪身代金支払者0人≫自称ジャーナリス├ 安田純平









ほら、ちょっとは同情の気持ちが生まれてきたでしょう?
安田さんに対する倫理的な憐れみの情が出てきて、
敵愾心が薄れてきたんじゃないでしょうか。




結局、このコメディじみた不思議なお話の裏になにがあるかはともかく、
今わたしたちに伝えられていることは、

頭の弱いおじさんが徘徊して、
ちょい悪なおじさんたちに保護されることになってしまった。
世話料を請求するも払われず、それでも情が生まれて見捨てられなくなった。
そんな利害と愛情と宗旨が交錯するおっさんずラブなストーリーだけです。

もう腐女子が処理してよ、この案件。見ているだけで尊いでしょ? 身代金くらい安いでしょ。
ジュンケンかケンジュンか、どっちがメジャーカプかは知りませんが。

 

 

さてさて、長くなりましたがここからが本題。

なんで今さら自己責任論が大ニュースになってんの?

ということですよ。

結論から先に言うと、これらの報道は「新時代の24時間テレビってことです。

 

 

本章

なぜ今さら一般人『安田純平』ごときがニュースになるのか

①現状について 

今回、純平の解放とともに突然持ち上がった「自己責任論」。

バッシングする人もいれば、
ジャーナリズムの重要性を説いたり、
オランダの例を上げたたりして擁護する人もいましたね。

まぁ擁護するのはたいがい同業者で、
ジャーナリスト同士で傷をなめ合うのは当たり前のこと。


デザイナー特有の横社会の馴れ合いが五輪エンブレム事件を生んだように、
世間の価値観と乖離しているのでそのあたりの手前味噌は聞き流しましょう。


好きなことややる気の出ることだけを飯の種にしていきたいのは誰だって同じですから。そうして適応障害を起こした成れの果てにでてくる言葉が「自分たちのしていることには価値がある」という類のものなんですから。


そりゃかつて見過ごされてきたポルポト政権下の現実だの、サブラー・シャティーラ事件くらいのことなら世論に伝えるべきでしょうが
間抜けなディティールを知れたことはともかく、今回の件みんな知ってることだけじゃないですか。
ジャーナリズムを名乗るだけなら成果無しの30代ニートにもできます。

 

 

②そもそも安田純平事件は見限られていたはずだった


というか、それ以前に。
この話題が持ち上がる前に、とっくにこの件は決着がついていたはずでした。
すくなくとも、一般的な市民感覚としては。

幾度にもわたる無謀な渡航と、政府の勧告や支援を反故にしたという経緯を経て、
この件は
一般的なジャーナリストの誘拐事件から、
安田純平氏という特殊な個人のケース
としてとらえられていたはずなんです。

つまり、もう一般論をとっくに超えている議題なわけです。

国家は国民を保護するべきもの
ジャーナリズムの意義は守ってあげるべきもの

という一般論はすでに語り済まされた事件だったわけですよ。

トラブルが大目に見られるのはなんだっていつだって初回にかぎります
実際の犯罪においても、初犯は酌量されるように。
トラブルというものは、その二度目から、反省の能力の有無が問われるわけです。
それが人間社会の原理原則であって、何度も何度ものほほんと誘拐される
彼はその当たり前の原理原則において、当然の末路という烙印を押されていました。

そんなごくごく一般的な認識によってもはや見向きもされるはずもなかった
論点がとつぜん復活したのは不自然ですよね。

「一般的な市民・ジャーナリストに対する国の対応について」が今の論点ですが、
まず一般的な市民、あるいは無垢な子どもなどはこの世に存在しません。
みんな名前があり、バックボーンがあります。それが塗り潰されるとき、すなわち、
わざわざこれをお題目に掲げるとき、媒体の印象操作がかならず存在しているわけです。

 

 

 

③ 純平を担ぎ上げたものたちの正体


冒頭の動画で、質疑応答の最初の質問者の言葉をよく聞いてください。
これが、帰国後の順平ニュースを主導する人々のやりたいことです。

「国の責任を問う」というバイアスをかけて
このトピックスを扱いたい人たちが、『自己責任論』を復活させた張本人です。

さて、右と左のどっちが正しいかなんてクソどうでもいいです。

ときに私の父親は本件の主導者たちの中の人です。
思考停止のできない人なので、仕事をしながらも個人的な考えはわける人です。
そして私自身も今はあるテレビメディアとお仕事させてもらっています。

その来歴の上でわかるメディアの実態は、
メディアとは購買層を常に意識する仕事だということです。
報道さえもお得意さまに向けてパッケージングされた商品だということです。

そう、テレビや新聞にも購買層がいるんです。
ゴールデンタイムの専業主婦にダイエット特集をお送りするみたいにね。

そして今回の主導者たちは、あるターゲットに売り込む好機だと思ったんです。
なぜなら

「国の責任を問えば」、自分たちのメディアを買ってくれる人たちがいるから
ルアーに飛びつくバスのように食いついてくれる人たちがいるとわかっているから。

それを求めている人たちがいるから、強引にでも需要を生み出そうと思った
そうして客寄せパンダとして純平が選ばれたんです。

しかしどうやら順平は彼らの意図には完全に乗ってくれませんでした。
質疑応答の返答を見ればわかりますが、きっと苦虫を噛み潰したと思いますよ。
取れ高がとれなかったわけですから。

バス釣り専門誌だって常に穴場を探しているように、彼らも紹介できる穴場を探してもがいてるんです。
頭のおかしいおじさんを使ったビジネスチャンスを逃すわけにはいかないので。
だから、こんなくだらないおじさんの奇行さえニュースにしたてる必要がある。

右も左も新興宗教も大手宗教も、思想は人が生きるためには必要なものです。
その思想性に良いも悪いもないけれど、激突することは山ほどある。
そこに人は群がる。
まとめサイトが対立を煽って需要を生むみたいに。

あるいは24時間テレビ』と『バリバラ』が互いに需要を生み合ってるみたいに。
彼らは現代のくぐつ一座です。互いにしめしめと思ってやってますよ。
どちらが良いも悪いもありません。
前者は社会的な義務を題目に唯一無二のお祭りを披露しているし、
後者だって前者のやり口に苛立つお利口さん達の憤懣の受け皿になっている。

さて、こうして今回、
哀れな男をピエロとして24時間テレビのメソッドが始動しました。

次はどこがピエロを立ててフォロー・アンチ・カウンターをやりはじめるか楽しみにしましょう。

日本中のメディアが合作するリアリティーショーの始まりです。










[閑話]
第一線で活躍できなくなった人は、とたんに世間にモノを言い始めます。
むかしの杵柄で一言居士としてある程度注目されるから、
失った立場の寂しさや切なさを満たすことができるわけですね。

ダウンタウンの松本さんとか、堀江元社長とか……あと…ダルビッシュとか…