現役作家兼経営アドバイザーとは誰かって?
すまんな、また私だ。
いろいろやっててすまんな。もちろん嘘松だ。
ちなみにゲームクリエイターの記事でもそうでしたが、私がどこの所属で、どんな作品関わったかに関してはいっさい明かすつもりはありません。
だって、SNSでよく見られる悲劇のように「作品が好きだったのに作者を見て幻滅した」なんてなったら嫌でしょう? 私だって嫌です。幻滅されるのはわかりきっていますから。
それに……
SNSでRT稼いで猿山の大将気取ってる作家のように哀れなものになりたくないですからね。
私自身は受賞歴も映像化歴もあるんで、そこそこの職業作家だとは思ってくれてかまいません。もちろん嘘松だ。
ところで昨日報道されたこのニュース、みなさんはもうご覧になりましたか?
これ、びっくりしましたか?
私はしませんでした。ニュースを見た五人に一人は「やっとか」という思いはあったと思います。なにせ、個人が広告費で生きていく時代ですから。
次は協賛企業に帰属する無料スマホサービスでしょうね。
『DeNA』といえば、ただのソシャゲ・SNS運営会社のイメージから、NPB球団の運営の成功によって一躍事業者としての格を上げた現代の成功企業です。
『横浜DeNAベイスターズ』という、業界のしがらみと対峙し、自治体や関連企業と折衝しながら、一年の2/3において毎日数万単位の客を相手にする一大事業を成功させた功績は桁が違う。高田元社長の地域団体の趣味的経営とはレベルが違います。これによって社会的"信用"を勝ち得たDeNAにしかできなかったのが今回の0円タクシー事業です。資本のあるなしではありません、これをなしえたのはひとえに国内の"信用"です。
とはいえアイデアそのものは誰にもありました。
私にもありました。だから、私がずっと考えている
出版業界再興のアイデア
も「間違ってはいないんだろう」という確信めいたものを感じました。
そこで、このアイデアを気まぐれに披露してみようかと思います。
スクエニの記事ほど真剣な内容ではないので、暇潰しにでもこの戯れ言をお聞きください。
今回のトピックス
てことで今回のトピックスはこれ。
まあこの記事自体、筋違いの前提があるんですが、
それはおいおい言及するとしましょう。
今知っておいてもらいたいのは、
・出版業界全体の規模が減少している
・コミック業界が特に縮小傾向にある
・電子コミックのシェアが拡大している
という三点です。
つまり問題点はコミック――すなわち、漫画市場です。
ここを救うことが業界全体のプラスになります。
出版業界を救う方法とは?
答え:連載中の漫画の"既刊"無料化
ともあれ、出版業界を救う一案が私にはあります。
0円タクシー、漫画村のメソッド、そして電子書籍を絡めた方法です。
それは、
現在連載中の作品の既刊を電子上で無料化すること
すなわち、『既刊0円サービス』です。
こんなアホみたいな結論にいたった理由を説明していこうと思います。
理由その1: 活字は問題ない
ときに出版業界において、私の主戦場でもある活字はあまり気にしていません。
コミックにくらべて市場規模は小さいですが、もともと活字はそれなりに頭の良い人が求めるものです。長文をたれながしている私の記事を読もうとする人がそこそこ頭の良い人なのと同じことです。短く効率的(役立つ)なものを売るといういかにも、アホにものを売るマーケティングは完全に捨てている方針なので、それくらいは自覚しています。
客を選ぶものであると同時に、活字書籍の間口は非常に広い。近年では映画化もされた『火星の人』のように、
ネット上の洗礼を土台として、初期ロットの消化を見込んでから『出版』に至るという、コミックとは違って『完全実力主義』の体制が出来ているため、クオリティそのものは今後上がってくるものだと思います。特にアホは読めない、読まない、語れない、評価できないのが活字なので、これは弱さと同時に強さです。
異論はあるかと思いますが、日本の場合は『小説家になろう』などがありますね。これらはもともとあったサイトですが、アニメ化もした『ソードアートオンライン』『アクセルワールド』の作者の川原さんが電撃文庫の元名物編集者・三木一馬氏が先駆けとして行ったモデルによって爆発的に火がつきました。
そして、魅力が確固たる作品は結局メディアミックスに到達します。その部分で、加速します。まして、漫画にさえなるんです。そもそもこの走りは『ケータイ小説』です。昔からある強みなんです。
しかしコミック、「漫画」はそういった単純な図式はあてはめられません。
理由その2:新作を出せない漫画業界と漫画家
出版市場から減少しているのはコミックです。
コミック、すなわち、漫画はなぜ見捨てられはじめているのか?
たとえば、「○○な○○さん」とか「○○は○○すぎる」とか、
ラブコメでさえない、ツイッターのお絵描きの人たちがRTを稼ぐのが限界だったレベルの性癖露出ものをかつぎあげなければいけないほどレベルがだださがっているということもある。メディアミックスしたときに、こういった作品はニッチな市場だったことはだいたいばれてますよね。みずから共有を生み出すのではなく、みんながほしがっているものをそのまま出せば必然、それが表現の場であればあるほどくだらないものになります。
かつての日本のドラマが女性向けの恋愛ものばかり出しておちぶれたように。そうであったのと同じく、アニメやコミックが、女性向けや、"二次元さえあればいい"オタクの恋愛脳に合わせてどんどんおちぶれつつあるように。
実際、アニメ化ブーストをかけた漫画が私の活字より売れていないケースはあたりまえになってきました。なかでもいちばん売れてなかったのは競女でしたね。あれはひどい(笑)
とはいえ、これは個人の感想です。絶対間違ってはいませんが。
しかしもっとも問題なのは、
コミックは才能の露出に時間がかかるといった面があります。労力と時間を必要とするものなんです。
私のように文筆をメインとしていると、センスの強みは文筆側にある。私自身絵も描くのでその労力自体は理解に難くないですが、摩耗の速度と、挑戦の機会が非常に限られる。この記事をおそらく5時間程度で仕上げるだろう私の場合、本は一週間あれば一冊書けることもあります。二冊同時に進行するということもできます。
しかし漫画家の場合、一本のラインにかかる労力が半端ではありません。プロット、ネーム、下書き、ペン入れに打ち合わせなども入ってきます。
漫画家ばかりがガタガタと苦労を騒ぎがちなのもこのせいですね。
また、日本の漫画業界を牽引してきたものが週刊・月刊誌であったため、彼ら漫画家には連載というくびきがあります。その宣伝力と、打ち切られさえしなければ収入のメリットは大きいですが、もちろんデメリットはそのぶん大きく漫画家に負担をかけます。
書き下ろしをメインとする作家は、楽ではないですが、頭脳労働がメインです。一行に何日も悩むということがないわけではないですが、なにより締め切りの期間が長く、最悪ないこともある。映像化も基本は他人が勝手にやってくれます。これは漫画の原作家の場合もいくらかあてはまります。
連載をメインとする漫画家は、スケジュールに組み込まれ、労力の多くを週刊・月刊に注ぎ込まなければいけない。これは、原作つきのなぞり屋もふくみますが、そっちに関しては、しかたないです。絵しか描けないのだから、それはブルーカラーとしてあきらめてもらいたい。
そして、なにより、漫画家の最大の特徴。それは、
続きものをずっと描かなくてはならない
ということ。
ラノベ作家でさえ最低でも三ヶ月(ターゲット層は毎月のように買えないための方策)感覚ですが、コミックの場合、それ以上のスパンで新刊が出ることになります。
これは職業作家としてはいい面もあるんですが、出版業界全体で見たとき、ある一つの原則が影を投げかけます。
続きものの新刊の売上が、既刊を超えることはない
という原則です。
続きものは、前のお話を読んでいる人が続きを買うもの
というごく当然の理由で、売上は常に前作を下回ります。そこで考えてみてください。
人気作品をとにかく長続きさせようという
昨今の編集の方針を。
なぜ活字が問題はないのか? そもそもの理由はここです。
次から次に新作があらわれるから。
理由その3:漫画村は成功だった
コミックといえばやはり『漫画村』。
一時期、『漫画業界』を揺るがす巨悪として扱われたあの"メディア"。たしかに許諾を得てもいないのにそれを成すのは問題があったかもしれない。
しかしそこに需要を見抜けなかったのは既得権益に拘泥する古い人と、労力の対価を欲しがるブルーカラー感覚の漫画家のせいです。
かつて第一線のラブコメ作家だったが成熟とともにその感性が失われて一介の運動家として生きる道をみいだしてしまって悲しい赤松健はそこに目をつけました。
それが漫画図書館Zです。
しかしやり方がまずかった! 仕組みだけを真似して、旬の過ぎた毒にも薬にもならないものを皿にもってしまっていた! 古い漫画に広告費の価値はないんです!しかも普通に金とるし。
作品は鮮度が命です。時の洗礼を受けた名作はあれど、それらは出版者が権利を手放さず、新装版という形で世に送り出します。
漫画村はタダでした。
しかし、タダほど高いものはない。
漫画をタダで買う場合、読者が売り渡すのは時間です。
そんな大事なものを、時代遅れな三流作品に割くわけがない。漫画村のスムーズなUIがやたら評価されたのは、無駄な手間(時間)をかけずにすむからです。
効率を考えるのはバカの証ですが、そんなバカたちだからこそ「つまらない」と思ったものはすぐ切り捨てるんです。
漫画村が成功したのは、なによりもまず、
第一線の漫画が、無料で見られるからです。
むしろ弱小漫画家こそ稼げるのが、既存の出版業界です。
先人が漫画家をうまく回すことができるようにつくった仕組み。
そもそもそのバリアフリーにさえ乗れない人たちがよりあつまったところで、ひとつずつ作品性を見定められるような場に来て生きていけるわけないでしょう。
理由その4:利用費代行サービスの先駆者たるテレビメディアの例
テレビメディアは世界で最も成功した媒体の一つです。
なぜ成功したのか?
無料だったからです。
テレビというものが、広告主に料金を肩代わりさせる仕組みをもった、
0円タクシーよりもっとはやく存在していた料金代行サービスだったからです。
だからこそ0円タクシーもアイデアそのものは「驚くべきことではない」んです。いつかだれかがやることは決まっていたことなんです。ただ、それがあなたや私ではなかったというだけで、社会の仕組みさえわかっていれば、だれもが思いつくものなんです。
しかし、テレビがもし無料ではなかったら?
番組ごとに単価が設定されるような媒体だったら、
見たい番組をいちいち買わなければいけないものだったら、
ここまで繁栄したと思いますか?
もちろん答えはNOだし、ネットの登場とともに即死していたと思います。
せいぜい放送局単体のPPVが限界でしょう。現代ではネットフリックスです。
日本もBSや有料放送に加入していなくても、NHKの集金という形でそれがあります。
PPVまでがメディアに対する対価の限界なんです。
番組を個々で売るようなサービスだったら、それはそもそも誰にも知られないし、話題にも上がらずトピックスとしても共有されません。
そして、購入者は初動から先細りの一途を辿るしかないんです。おそらく、連続テレビドラマというフォーマットさえ生まれませんでした。
しかし現代。
その連続ドラマに各話単価をつけて売ろうとしているのがコミック業界です。
理由その5:コミック業界が失おうとしているもの
しかし、ジャンプ・マガジン・サンデーは御三家と呼ばれるほど成功しました。
これも、結局、寄せ集めでありながら、毎回連続ドラマの単価をつけて売っているのと同じこと。なのになぜ成功したのか?
これにはれっきとした理由があります。
立ち読みと貸し借りができたから。
現代、シェアという概念がようやく共有されてきましたが、
そもそも商売やサービスの本質はこれです。
既成のサービス・商品を共有し、その魅力を折半すること。
ソシャゲメーカーや同人作家という創作弱者でさえ、これを押さえていれば一定の集金は可能なくらいです。
そしてシェアは作品の広報となり、顧客獲得機会の拡大となります。
その機会を拾ってきたものが「本誌」にかわる「単行本」というものでした。
これはPPVに近く、こちらは今後、単体でも通用し続けるものです。
しかし、連載というメカニズムで金を生む仕組みをつくってきた漫画には、「単行本」に「続きもの」という条件がついてきます。現代は効率厨のバカが多く、出版業界にいる彼らは目先の稼ぎを求めて、続きものをつくらせる傾向はさらに加速しています。
そのとき、先ほど言及した「最新刊は既刊より売れない」デメリットが付与されます。
ですがいままでもこの仕組みはありました。この減衰を最大限にとどめてきたもの、それが、立ち読みと貸し借りというシェアです。
ジャンプの場合、ここにさらにアニメ化が加わります。
ジャンプアニメのアニメ化はコミックの宣伝という目的を確固として持っています。
しかしそのシェアの機会を近年、出版業界はみずから奪ってきました。
それを奪った原点。それは、立ち読み防止のテープです。
――そして、これから奪うであろうもの、それが電子書籍です。
理由その6:電子書籍が出版業界のマトリクスを失わせる理由と、電子書籍のシェアサービスの提案
現代のコンテンツでもシェアは行われます。
グリッドマンの記事で同人はコンテンツを汚すといいましたが、それは彼らがエロパロと性癖でしか自己表現できない創作弱者であり、ネットを通じて"表現できないと傷つく"観賞適応障害を起こしているからであって、やはり話題を共有してもらうことそれ自体にまちがいはありません。
正統な形のシェアとしては、漫画レビューですが、結局レビューであって商品そのもののシェアではない。電子書籍の冒頭立ち読みなど論外です。あれでは伝わらない。
――そう、電子書籍は立ち読みも貸し借りもできません。
電子書籍が媒体に依存し、他人にそのデータを明け渡すことは違反になるから。
ならば、購入者に人数制限つきのシェア機能を与えるのも、悪くないかなとは思います。お小遣いを出しあって一つのものをシェアする、ということが電子上で再現できますから。
電子書籍の利便性はもちろんあります。
かさばらないことやデータが保持され続けることもありがたい。
出版と流通にかかるもろもろの費用をカットできるのも出版社的にありがたい。
作家としては、もう問屋がおろさなくなった何年も前の作品の印税がいまだに毎月電子書籍で入ってくるというメリットもあります。
でもそれだけなんですね。
便利というのは効率厨の考え方です。
本質が見えておらず、省略の果てに根幹まで無視してしまう。仕事を早くしようという人間がそもそも仕事ができないのと同じことです。
これ。
電子書籍が活路みたいなことをほざいてますが、
いかにもモノのわかってない人間の言い方です。統計の初歩すら見えてない。
電子書籍のシェア拡大と出版業界の規模宿縮小には相関関係がある。
という視点をろくに考慮していないんですよ。
理由その7:「書籍」への信用が薄れつつあることについて
電子書籍のシェアが100%になった瞬間、
いまのままであれば、出版業界は破綻します。
なぜなら、その瞬間、「電子書籍」とは、
だれもよまないと評判の「有料記事」と変わらないものになるからです。
私が書籍に手を出すのは――いや、そもそも書店というものが存在するのは、
「書籍のなかにかかれているものには価値がある」
という信用があるからです。金と同じように、"信用"があるんです。
書籍が紙か電子かなどではない、「書籍」という概念への信用があるから、
「書籍」には価値があるんです。
「電子書籍」を支えているのは、もともと「書籍」が好きだった人。
もともと本が好きな人、その素養がある人たち、ビブリオファンだけです。
そういう人の多くは紙しかなければ紙で買います。ラックに置き去りにされたジャンプやマガジン、寂しい女のためのホスト誌の一冊や二冊は見たことがあるでしょう。邪魔なら捨てるだけです。
小型テレビ「ワンセグ」が開発されたことで、
テレビの市場が広がったわけではないのと同じことです。
「書籍」という概念が
いままさに宇宙から来たオーバーロードに消されたとして、
そのときわたしたちがまのあたりにする「電子書籍」とは、
「有料記事」との見分けがつくものではないんです。
それよりなにより、タダですべて見られるものがあるのですから。
いくら先進的と威張っていても、「書籍」の記憶がある人間が手を出すものです。
「書籍」という呼び方が、中身の価値をある程度支えてくれているんです。
――そして、世代が変われば、
人々が「書籍」という保証にかんじる価値は薄れていきます。
「書籍」という概念の喪失というSFは、時間の経過と世代の変化によって
徐々にですが、確実に起きていくことだと私は思います。
活字は新作を出し続けられる。だから問題ない。
ネットでも通用する。
なぜか?
書籍ではなく、「作品」で勝負できるからです。
市民がメディアに対価を払うのはPPVが限界といいましたが、
たとえば映画などのレンタルは、多くの作品がそれで完結しているから通用するんです。切り売りではなく、商品を一つドンと受け取れるから。作品単体の取引は通用するんです。小説だって基本が作品単体だから生き残れます。
しかしその作品を続きものとして切り売りしたとき、
書籍販売という形を強いられ、それが世代が進めば進むほど足かせになるんです。
連載が進むにつれてそれは追いかけなければいけないメディアと化すから。
だが追いつくためには1から金を出して切り売りに答えなければいけない。
だからといって打ち切り作家レベルが新作を粗製濫造することに意義はない。
事実、人気作は売れています。
低レベルな似非漫画家の話ではないんです。人気じゃない人たちをいままで先人の仕組みが補ってきたということだけで、それは今もかわらない。売れないのはつまんないからで、売れない乞食を救ったところで業界は盛り上がりません。
でもそれを売れるようにすることでコミック業界が発展してきたのは事実です。そしてそれはごく一部の天才の売上があってこそのものでした。
それが通用しなくなってきた。作品全体のクオリティの低下もあります、そもそもの販売方式の効率化もあります、なによりも、
業界を支える天才の作品を切り売りして効率的に儲けようとした結果がこれです。
活字は大丈夫といいましたが、「活字だから」大丈夫なんじゃない。
囲碁や将棋の師匠がそうするように、
見込みのないやつは無慈悲に切り捨てられる世界だから。
面白くて売れる天才しか残らないから、活字は問題ないんです。
たとえば本といえば神保町です。
神保町の書籍取引の強みとは書籍の「本当の価値」で売り買いできることです。
知識さえあれば、ちょっとした金策さえできます。
しかしこれはマニアの領域です。
神保町だけで書籍市場を支えることはできない。
書籍が高級品ではなく、バカにも売らなければいけない薄利多売の構造を持っている以上、適性価格のみで売買するやり方では通用しない。
その点、大型のシェアターミナルを務めてくれていたBOOK-OFFは必要悪でした。しかしそのBOOK-OFFも経営が右肩で、閉店する店舗も増えています。
それは、なによりバカの間で「書籍」というものへの価値が薄れてきたためです。
しかし「書籍」が見向きされずとも「漫画村」のように
第一線の"作品"
にはいつでもだれにでも需要がある。
手塚先生のような先人のクオリティをもって築き上げられた仕組みに甘えて、
需要のための作品しかつくることに甘えてきた二流作家たちをのさばらせた末路です。
やつらを生きさばらえさせるための仕組みを一流作家にも適用してしまった。効率化というくさびを与えてしまい、彼らの才能を切り売りすることが当たり前になった。
ただ、読者と感覚を共有できなければもちろん意味はない。
需要を裏切って我が道を行くだけでは相手になどされません。このブログのように。
需要を理解し、それをしてセンスを貫き、多くの支持を勝ち取ってこその「第一線」ですから。だから、最新の、第一線の作品には価値がある。
ただ「書籍」というくびきと「続きもの」という足かせがコミック業界の足を引っ張るなら。しかしその仕組みが先人が築いた漫画家を支えるものであるなら。
それでも最新の"作品"はいつでもどこにでも需要があるというのであれば。
「既刊」というマイナスファクターを
広告者に肩代わりしてもらえばいい。
購入者シェアサービスの方が現実的なのはわかっています。でもこっちの方が効果はあります。絶対的に出版業界は押し上げられます。
あくまでアイデアです。真に受けるかどうかは好きにしてもいい。
私が提案することの本質は、
薄利多売の「薄さ」を一度考えなおしてもいいんじゃないかってことです。
問屋という存在があって、その仕組みを考えたとき、無料コミックというものは現実的ではないし、ならば実際に基幹誌を無料で配布しているサイコミが
無料マンガ配信サービス「サイコミ」公式サイト | Cygames
単行本にそのリターンを吐いているかというとけっしてそうではない。そもそもサイゲのコミック事業はメインではなく、自社コンテンツの宣伝に重きを置いている。膨大な資金力とコンテンツの最先端を行く彼らの実験の結果は、まだ出ていません。
でも漫画村は結果を出しました。
従来の「書籍」という枠組みを超えて、
「作品」には需要がある
と示した好例です。
漫画村の管理人は悪あがきのプレミアムサービスを見てわかるように、けっして頭の良い人ではなかった。しかしその行動の結果には意味がある。
戦時時の非道で無知な人体実験が、後の科学の発展に重大に寄与したように。
ガキの意趣返しみたいな似非サイトを作って悦に入るのではなく、もっとあのトピックスをみんなが研究するべきだったんです。
最後に
「電子書籍」を「書籍」としてとらえるから駄目なんです。
もっと使い方がある。あれをただのアクセスしやすいデータファイルだととらえれるパラダイムシフトによって、「作品」を中心とした新しいビジネスモデルが構築できる。
赤松氏がやっているような似非漫画村の形というのは、世間一般と戦える優秀な作家を出版者と奪い合う形になります。ウィンウィンになりません。
もともとの漫画村の形式そのものを出版社に還元する形でDeNAのような事業家に任せるってのもなくはないんですが、さすがにそれは難しいと思います。仕方ない。
あるいは、 コミック誌そのものを無料にするということもできますが、だめだと思います。サイコミがそうであるように、スポンサーの広告塔になってしまうということで表現の自由度が下がるということが最たる理由ですね。これはちょっとまずいです。もちろん第一線でやれる品性や熱量ありきの話なので、エロをばらまくしか能がない創作弱者の自由なんざ唾棄されて当然ですが。
同じように、無料アクセスのネットコミックを開くという方策もあります。
裏サンデーやジャンプ+など既にいくつもの前例はあります。
でも、そういうことではない。無料かどうかではなく、重要なのは、そこにあるものが第一線の作品かどうかです。現状、世間に通用しないニッチ二流作家の逃げ場なので、影響力なんてないです。というか、さっきいった創作弱者レベルのたまり場になっているのが実情なので。
そういう一流の人間は現実社会で看板を背負わされます。書籍コーナーに平積みされる本の表紙をかざらさせます。ネットで消費なんてさせません。
というわけで。
私のインスタントアイデアとして、
「既刊0円サービス」――いかがでしょうか?
一流の連載作品に無料でアクセスさせる、それがたった一つ業界を救うシェアです。
既刊の費用や印税などは広告主が持ち、だれもが読むことができる。これまでの販売のメカニズムは広告主が請け負う。あるいはそれを作品個々でやってもいい。ワンピースの既刊スポンサーになりたい人は山ほどいるでしょう。
これがよしんば一般化したら、コミック無料のデメリットである広告塔化を心配される方もいるかもしれません。
でも大丈夫。
対象は『既刊』なんです。
なんだったら巻ごとでもかまわない、そうすれば影響は与えられません。
もちろん、トラブルによって企業がスポンサーを離脱するなどといった付随してきます。『るろうに剣心』なんてあれはもう茜新社以外厳しいでしょう。あれの無料化だけはあきらめてください。
ともあれ、そこに関しては、契約期間を厳密に定めるしかないですね。
あとは出版社がどこまで責任を負うかにかかってますが……。
しかしここで希望がある。
それらのデメリットこそ、費用が最小限にとどめられ、だれもがアクセスしやすいデータファイルである、電子書籍だから最小限にとどめられます。
書店に並ぶ紙媒体には値段をつけてもいい。でも電子書籍なら極論すれば印税以外のマイナスはカットしようと思えばできるんです。
そんなわけで、これが私の考えるアイデアです。
スクエニの記事にくらべれば、ちょっとおふざけの過ぎるアイデアかもしれませんが、それなりに本気でいってはいます。
え?
どこがそんなサービスのスポンサーになるかって?
とりあえず候補は一人いるじゃないですか。
すべての週刊漫画雑誌をひっくりかえしてみればそこにいる、業界の牽引者が。
なんだったら某TVの予算、出版業界にわけてみたらどうですか?
[閑話]
一押し。